梅雨が終わって [日記]
暑くなりました。
ありえない暑さです。
夏ってこんなに暑かったっけ???
そう言えばですね、私は昨年の六月に「時の経つのが早い。子供の頃は時間が経つのがもっと遅かったような気がする」ということを書いていましたが。
あれ、実は「ジャネーの法則(ジャネの法則とも言うそうです)」という法則なんだそうです。
「19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された法則」
なんですって。
考えたら当たり前の話ですが。
二歳の幼子の一年って長さは人生の半分を占めているじゃないですか。
これが百歳の老人になると、一年というのは人生の1%に過ぎなくなるわけですよ。
そういうわけで、人が成長するに従って、時間が経つのがどんどん早く感じるようになってくるのだとか。
それとあと思うのが、小さい頃は知らないことが多く勉強すると成果が出て、後でその一年を振り返った時に充実感も大きいと思うんですよね。
大人になると職業などにもよりますけど、そんなにどんどん勉強する必要がそもそもないですし、毎日同じことの繰り返しでそんなに成長もしないわけですから、一日はこれという成果もなくあっという間に終わりやすい気がします。
……いや、わかってますって。
仕事のできないパートのおばちゃんな私は、特にそういうところが当てはまるっていうのは。
だからこれは先ほどの「職業などにもよる」という話ですし、また、人にもよるんですよね。人にも。
子供の頃はそういう職業や人柄などに左右されずに皆が皆、成長する頃であったと言いたかっただけです。
まぁそんなわけで、ここでも「時が経つのが早いなー」という日記が頻発するのは、実は「ジャネーの法則」じゃねーの? て話でした。
……最後はダジャレかい!
ありえない暑さです。
夏ってこんなに暑かったっけ???
そう言えばですね、私は昨年の六月に「時の経つのが早い。子供の頃は時間が経つのがもっと遅かったような気がする」ということを書いていましたが。
あれ、実は「ジャネーの法則(ジャネの法則とも言うそうです)」という法則なんだそうです。
「19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された法則」
なんですって。
考えたら当たり前の話ですが。
二歳の幼子の一年って長さは人生の半分を占めているじゃないですか。
これが百歳の老人になると、一年というのは人生の1%に過ぎなくなるわけですよ。
そういうわけで、人が成長するに従って、時間が経つのがどんどん早く感じるようになってくるのだとか。
それとあと思うのが、小さい頃は知らないことが多く勉強すると成果が出て、後でその一年を振り返った時に充実感も大きいと思うんですよね。
大人になると職業などにもよりますけど、そんなにどんどん勉強する必要がそもそもないですし、毎日同じことの繰り返しでそんなに成長もしないわけですから、一日はこれという成果もなくあっという間に終わりやすい気がします。
……いや、わかってますって。
仕事のできないパートのおばちゃんな私は、特にそういうところが当てはまるっていうのは。
だからこれは先ほどの「職業などにもよる」という話ですし、また、人にもよるんですよね。人にも。
子供の頃はそういう職業や人柄などに左右されずに皆が皆、成長する頃であったと言いたかっただけです。
まぁそんなわけで、ここでも「時が経つのが早いなー」という日記が頻発するのは、実は「ジャネーの法則」じゃねーの? て話でした。
……最後はダジャレかい!
小学校の給食の話 [日記]
ふと、思いだしたので書いておきます。
小学校の給食の時、ご飯を残す時は残飯入れに入れてからお弁当箱に戻さなければならないのですが。
それをしないでそのままお弁当箱を入れた子がいて、ご飯の入ったお弁当を見た先生は激怒しました。
そこで犯人探しが始まりまして、それが多分放課後で長い時間がかかっていたような気がします。
全員の顔を伏せて、犯人の手を挙げさせるという方法です。
先生の口調が次第に変わってきまして、以下のようになりました。
「もしかしたら、本当にもしかしたら、やってしまっていたかもしれない、と思う人は手を挙げて」
私は昔から食欲は旺盛な方で、残すことがほとんどありませんでした。
残す場合もかなり少量であり、残すことが珍しいので忘れずに残飯入れにきちんと毎回入れていたと思います。
しかしこうもやいやい言われると、私は食べたつもりでも、少量残っていてそれをうっかり入れてしまっていたのだろうかとか思って、だんだん不安になってきます。
いや、そんなことない、米粒一つ残していなかったよね、あれは夢じゃないよね、と思うのですが、だんだん自信がなくなってきました。
そこで「かもしれない」という表現で、うっかり手を挙げてしまったのですが。
その後に先生が、
「犯人がわかりました」
と言って、全員帰ってよしになりました。
「えー、もしかして私が犯人だと先生は思っているのー?」
とは思ったものの、後日呼び出されて何か言われたらそう言えば良いかーと思って放置していたら、結局は何も言われませんでした。
大人になった今だから、今さらですけど書きますが、私は犯人じゃありません。
というか、弁当箱にどのくらいのご飯が残っていたのかは知らないですが、少量であったなら持っただけでは気が付きませんし、後片付けをしていて誰かに呼び止められて、他の子が気を利かして弁当箱が空だと勘違いしてしまってしまった、という可能性はありますよね。
この場合、気を利かして誰かやってくれたと思った子が「気を利かして中身も捨ててしまってくれた」と本気で思うずうずうしい子だったら、犯人は永遠に出てこないと思いませんか?
そんなずうずうしい子はいない?
いや、結構いましたよ。
特に「親に何でもやってもらって当たり前(だから俺様は他人様から何でもやってもらって当たり前)」みたいな態度だった男子とか。
昔の話だし、その辺りはかなり田舎な方だったから、長男を大事にするお家はほぼ当たり前の話でしたので。
また、もうちょっとご飯が多く残っていた場合でも、早く運動場に遊びに行こうと思う気持ちが強くしかも残すことが珍しくなく、うっかり捨てるのを忘れてしまっていた、しかもその事実すら完全に忘れ去ってしたという、ちょっと頭の悪い子(こう言っちゃ何だけど)が犯人だったかもしれません。
この場合もやっぱり犯人はわかりませんよね。
ここまでで「犯人が名乗り出ないのは、意図的に犯行を隠した場合だけではない」ということを書いておきます。
最終的に、私が何を言いたかったのかと言いますとですね。
たまーに、犯人と思われる人が取り調べの時に犯行を認めていたのに、裁判でそれを全否定をする場合がありますよね。
普通は罪を認めたくない、有罪になるのが怖くなったから嘘を言っていると思いますよね。
もちろんそういう人もいると思います。
しかし、実は「本当にやっていなかったから、裁判で全否定する人」もいるのではないかなーと思うわけです。
雰囲気と取り調べをする刑事さんの誘導尋問によって、何となく「そうか、俺がやったかも。そうだよな」と思ってしまっていた、ちょっと頭の悪い(こう言っちゃ何だけど)人がその状態になって、裁判になって慌てて全否定する……と。
そして、こうやって書いていて思ったのはですね。
やっていないという私の意識の方が間違いで、実は私が犯人だったらどうしよう……て話でもありますけど。
いや、確かにあの日、全部食べたはずなんですよ。
残すことなんてめったにない、食い意地のはった子供だったんですよ私は。
でも、ずーっと言われ続けていると、もしかして……とか思ってしまう、ちょっとヤバい子供だったことは確かです。
何であの時、すーっと手を挙げてしまったんだろう。
先生は今でも私を犯人だと思っているのだろうなぁー。
さすがに忘れたか?
あるいは先生はもう亡くなっているとか?
ま、今さらこんなん思いだしてもしゃーないんですけどね。
(さすがに今はそんなヤバイ子供のままじゃないです。身も心もどっしりとしたおばはんになりました。笑)
小学校の給食の時、ご飯を残す時は残飯入れに入れてからお弁当箱に戻さなければならないのですが。
それをしないでそのままお弁当箱を入れた子がいて、ご飯の入ったお弁当を見た先生は激怒しました。
そこで犯人探しが始まりまして、それが多分放課後で長い時間がかかっていたような気がします。
全員の顔を伏せて、犯人の手を挙げさせるという方法です。
先生の口調が次第に変わってきまして、以下のようになりました。
「もしかしたら、本当にもしかしたら、やってしまっていたかもしれない、と思う人は手を挙げて」
私は昔から食欲は旺盛な方で、残すことがほとんどありませんでした。
残す場合もかなり少量であり、残すことが珍しいので忘れずに残飯入れにきちんと毎回入れていたと思います。
しかしこうもやいやい言われると、私は食べたつもりでも、少量残っていてそれをうっかり入れてしまっていたのだろうかとか思って、だんだん不安になってきます。
いや、そんなことない、米粒一つ残していなかったよね、あれは夢じゃないよね、と思うのですが、だんだん自信がなくなってきました。
そこで「かもしれない」という表現で、うっかり手を挙げてしまったのですが。
その後に先生が、
「犯人がわかりました」
と言って、全員帰ってよしになりました。
「えー、もしかして私が犯人だと先生は思っているのー?」
とは思ったものの、後日呼び出されて何か言われたらそう言えば良いかーと思って放置していたら、結局は何も言われませんでした。
大人になった今だから、今さらですけど書きますが、私は犯人じゃありません。
というか、弁当箱にどのくらいのご飯が残っていたのかは知らないですが、少量であったなら持っただけでは気が付きませんし、後片付けをしていて誰かに呼び止められて、他の子が気を利かして弁当箱が空だと勘違いしてしまってしまった、という可能性はありますよね。
この場合、気を利かして誰かやってくれたと思った子が「気を利かして中身も捨ててしまってくれた」と本気で思うずうずうしい子だったら、犯人は永遠に出てこないと思いませんか?
そんなずうずうしい子はいない?
いや、結構いましたよ。
特に「親に何でもやってもらって当たり前(だから俺様は他人様から何でもやってもらって当たり前)」みたいな態度だった男子とか。
昔の話だし、その辺りはかなり田舎な方だったから、長男を大事にするお家はほぼ当たり前の話でしたので。
また、もうちょっとご飯が多く残っていた場合でも、早く運動場に遊びに行こうと思う気持ちが強くしかも残すことが珍しくなく、うっかり捨てるのを忘れてしまっていた、しかもその事実すら完全に忘れ去ってしたという、ちょっと頭の悪い子(こう言っちゃ何だけど)が犯人だったかもしれません。
この場合もやっぱり犯人はわかりませんよね。
ここまでで「犯人が名乗り出ないのは、意図的に犯行を隠した場合だけではない」ということを書いておきます。
最終的に、私が何を言いたかったのかと言いますとですね。
たまーに、犯人と思われる人が取り調べの時に犯行を認めていたのに、裁判でそれを全否定をする場合がありますよね。
普通は罪を認めたくない、有罪になるのが怖くなったから嘘を言っていると思いますよね。
もちろんそういう人もいると思います。
しかし、実は「本当にやっていなかったから、裁判で全否定する人」もいるのではないかなーと思うわけです。
雰囲気と取り調べをする刑事さんの誘導尋問によって、何となく「そうか、俺がやったかも。そうだよな」と思ってしまっていた、ちょっと頭の悪い(こう言っちゃ何だけど)人がその状態になって、裁判になって慌てて全否定する……と。
そして、こうやって書いていて思ったのはですね。
やっていないという私の意識の方が間違いで、実は私が犯人だったらどうしよう……て話でもありますけど。
いや、確かにあの日、全部食べたはずなんですよ。
残すことなんてめったにない、食い意地のはった子供だったんですよ私は。
でも、ずーっと言われ続けていると、もしかして……とか思ってしまう、ちょっとヤバい子供だったことは確かです。
何であの時、すーっと手を挙げてしまったんだろう。
先生は今でも私を犯人だと思っているのだろうなぁー。
さすがに忘れたか?
あるいは先生はもう亡くなっているとか?
ま、今さらこんなん思いだしてもしゃーないんですけどね。
(さすがに今はそんなヤバイ子供のままじゃないです。身も心もどっしりとしたおばはんになりました。笑)